BBC / Radio4 “コミュナル・リビング”

image by Sungwon Kim

タイトル(原題): On Communal Living

日付:Jan 29, 2023

Speaker :Rebecca Stott 

訳者 : Sungwon Kim

概要: Rebecca Stott ponders if a move to more communal living could be key in solving some of our most pressing problems.

英国のノンフィクションライター、小説家、ジャーナリストのレベッカ・ストットが、現代における”コミュナル・リビング(共同体的な暮らし)”が多くの社会問題解決の糸口になるのでは?という視点から、若き日の共同生活を回想しつつ、昨今の”共同住宅”という流行を批判し未来を語ります。


大学2年生の頃、わたしはあるコミューンに入居しました。それは1984年の出来事でした。それまで”コミューン”という言葉自体、耳にしたことがありませんでした。”コミュナル・リビング(共同体的な暮らし)” について歴史も政治的背景も何も知らなかったわたしは、どこでもよいので住める場所を探していました。親元から遠く離れた19歳の独身女子。お腹には7ヶ月になる命を宿していました。当時のわたしは心に決めていました。必ず元気な赤ちゃんを生み育て、大学を卒業してみせる、と。

コミューンへの入居が決まるまで、住まい探しに数ヶ月もの時間を費やしました。大学はなにひとつ支援してくれませんでした。広告を出していた賃貸住居の大家は、わたしの姿を見るなり申込みリストからわたしの名前を外しました。わたしの状況があまりに危険に感じたのでしょう。公営住宅を管理する地域行政の担当者も取り合ってはくれませんでした。今度は逆に、公営住宅を提供するほど弱い立場にないと判断したのでしょう。マザー・アンド・ベビーホーム(未婚母子を社会から隔離していた保守キリスト教思想の組織。アイルランド行政が支援していた暗い歴史を持つ。)に連れて行かれたこともありました。わたしはその場を逃げるように去りました。

予定日の2ヶ月前、ある珍しいカップルがわたしに連絡をしてきました。文学の博士課程に在籍する30代のサラという女性、それから大学講師を務めるジェフという40代の男性でした。彼らは赤ちゃんを一緒に育てるために同居しており、左派的な考えに基づいた子育てを実践する環境を探しているようでした。そして、ほかの親子を招き入れ共同生活を始めていたのです。わたしが参加を検討したか?その時、わたしはすでに荷造りを始めていました。

コミューンでわたしは数年を暮らしました。コミューンでの生活がわたしをつくったと言っても過言ではありません。修士に続いて博士過程を修了し、共同での子育て、料理、予算繰り、交渉、共感の大切さ、妥協、時には激しい議論に耐える術を学びました。息子は親切な大人やほかの子どもたちとの絆を深め成長していきました。あらゆることを”共有する”姿勢を学び、何か問題が発生したときは丁寧かつオープンに解決していくさまを見て育ちました。決して簡単なことばかりではなかったけれど、いつも興味深い出来事で溢れていました。

わたしたちの生活は片田舎のボロ屋でも、寂れた廊下でも、レンズ豆のスープを啜るようなものでもなく、当時人びとが抱く典型的なコミューンのイメージとはかけ離れていました。都会にあって割と小さく、綺麗に整っていました。民主的な合意に基づいて自分たちで規則をつくり、当番や日課も定めていました。収入規模に応じて食費や光熱費の割合も定めて支払っていました。かつて目にしなことのない、想像できぬほどの、男女間での均等な家事分担が実現していました。

コミューンの人数は次第に増えていきました。サラとジェフにはさらにこどもが増え、わたしの息子もすっかり少年になっていました。わたしたちは週次の会議体を設け、時には意見の食い違いに対処しながら、子育てや料理当番、金銭的な取り決めもしながら生活をやりくりしました。男性だけのグループもよく遊びに来て集まりを催していましたし、分離主義派のフェミニストも頻繁に出入りしていました。本や政治の話で夕食を囲む食卓は貴重な教育の現場でした。出会ったひとびとはみな、わたしにとって家族のような存在となりました。

コミューンの生活を去り学校での仕事を始める頃、わたしは結婚していました。さらに2人の娘を授かり、いわゆる古きよき単独世帯の家庭を築き11年ほどの歳月を過ごしました。しかしその後離婚を経験し、子どもたちが大きくなって家を去る頃、わたしはあの共同体的な暮らしにもう一度戻りたいと強く感じるようになったのです。きっとこの感情を抱くのはわたしだけではない、そう思ってもいました。

わたしたちが直面する気候変動、エネルギー、子育て、ケア、 数え上げればきりがないほどの社会課題。こうしたあらゆる危機の到来が、人びとの孤独な生き方を考え直す契機にならないか?単独世帯にとらわれず、よりゆとりがあり持続的な生活に向けた人びとの探究が始まらないものだろうか?そんなことを考えていました。どうしてもっと想像力を膨らませられないのでしょうか?先人の教えからもっと多くを学べないものでしょうか?国や文化の違いによって成功の定義が異なるのはどうしてでしょうか?結局のところ人間は数世紀にわたり、その利便性や必要性から、多様な選択肢の中から共同生活を選択してきたはずです。

その言葉の通り、娘たちは自分なりの共同体的な暮らしを見つけ実践していました。長女は2年前にロンドン北部の共同コミュニティ世帯に移り、すでに5年を過ごしていました。後に、コミュニティ運営をしていた男性と婚約します。婚約者の彼は古びた工場を買い上げ、友人たちと改築作業を進めていたのです。いまでは立派な空間ができあがっています。コミュニティの住人はみなシンプルな家具付きの部屋をそれぞれ割り当てられ、夜には優雅で広々とした共有キッチンで一緒に料理をします。合議を取り費用を出し合い、パーティをしたり、壁を塗装したり、一緒にテレビを見たり、部屋の掃除をしたり。クリスマス前後の数日に滞在しましたが、彼らがもつ平等精神の若々しさと美しさを目の当たりにし、共同生活の理想が刷新されました。

もうひとりの娘はロンドン南部で3人の女性とシェア生活をしています。生活自体はうまく運んでおり彼女も幸せそうな様子ですが、共同生活についてはもう少し悲観的な捉え方のようです。彼女いわく、ロンドンに住む40歳以下の友人のほとんどが共同生活をしているとのこと。そして、そうせざるを得ない状況にあるというのです。シェア世帯は清潔なところもあれば、そうでないところもある。排水管の漏れを直してくれる優しい大家もいれば、ほかはひどいところばかり。とにかくランダムだという。そんな環境で、誰もが共同生活を希望しているわけではもちろんない。ただ、なかなか賃金が上がらず、多くの人びとは満足のいく家を構えられていない。どうすれば良いのか?と。

ある同僚はわたしに、息子が暮らすニューヨークのマンションの写真を見せてきました。それはたいそう豪華なビルで、飾られた植物、天高の窓、バーチ材の家具は輝いている様子でした。「”コーリビング”ってのが流行っているのよ」彼女はそう教えてくれました。若年層のプロフェッショナルたちが自分の部屋を借りると共有のジム、プール、ヨガスタジオ、洗濯室、加えてキッチン、時には図書館さえ付帯してくるという。「安くはないんだけどね」彼女はそう付け加えました。すべての付帯コストは賃料に含まれています。しかし、それを聞いたわたしはこう言わずにはいられませんでした。それは共同体ではない、と。共同に暮らそうという、構成員のなかでの約束が存在しないのですから。いま世間で使われている”コミューン”や”コミュナル・リビング”という言葉には、生活自体になにか新しい選択を提案しようというビジョンもなければ、相互の助け合いも共同意思決定のコミットメントも抜け落ちているのです。

19世紀から20世紀にかけて英国、欧州、アメリカ各地にでひっそり誕生していたと言われる数百のユートピア・コミュニティのことが頭をよぎります。ロバート・オーウェンやチャールズ・フーリエのようなフェミニズムと空想的社会主義に影響を受け立ち上げられたとされるコミュニティたち。収穫でも壁づくりの手伝いでも良いから、そういった場所を訪問してみたかった。ただ、こうしたコミュニティの多くは数年で解散し、思想の違いや格差間に生じる経済的軋轢から消滅してしまいます。もちろん、現代の共同生活がどれも左派的な政治思想に基づいているとは限りません。共同生活における政治的スペクトラムはその射程を広げています。そしてそのいくつかは現存し、いまもなお残っています。

友人のマリアはコーハウジング(共同住宅)の専門家です。共同生活の原型は60年代のデンマークに端を発し、スカンジナビア諸国、英国、アメリカと伝播していきました。共同住宅というアイデアは、庭、キッチン、選択場、畑などの共有物に囲まれて暮らし、共有の価値観を持ち、隣人として周りと助け合いながら暮らすというものです。共同住宅の成功の秘訣は、プライベートと共有部分のバランスにあるようです。ネットでこうしたコミュニティのリストを見つけましたが、30年ほど続いているものが多いなか、始まったばかりのものもありました。英国中部リーズには、世代を越えた入居者が暮らす共同住宅があり、そこでは高額所得者が低額所得者を支えているといいます。ロンドンのハイバーネットには”New ground”という老人女性に特化した共同住宅があり、マリアも設立を支援していました。英国内では初めてのモデルです。わたしがコミュニティでの暮らしをもう一度選ぶか?適切な機会さえあればもちろん前向きです。特に、世代を超え共に暮らす場所で、犬連れが許されればなおさら。

子どもたちも、その友人たちも、わたしが経験したような学びと発展を経験し、喜びと挑戦に満ちたコミュニティ生活をみずから選びとってくれたら良いなと願っています。個人の意思に基づくコミュニティを形成するのはなかなか大変なことです。集団としてのビジョン、リスクの勘案が求められますし、それだけでなく想像力豊かな建築物や空間、そしてお金も必要になります。それでも多くの共同体的な生活の実現には、今日わたしたちが直面する社会保障、子育て、ゆとりある個人の生活、家族の暮らしを改善する鍵があると、わたしは感じています。英国ではほとんどの共同住宅が民間資金で成り立っています。もし、十分な公的投資がなされたらどうなるでしょう?共同住宅が持つサステナビリティ、ソーシャル・コヒージョン(社会をつなぐこと)の利点を理解する行政が現れたらどうなるでしょうか?もちろん、ウェルビーイングについても同様です。

「わたしたちはみんな家族よ」娘はそう言います。考えてもみればシンプルなことです。改築した工場での子育てついて尋ねようとすると、勘の良い娘はこう答えました。「そのことはもう話し始めているわ」

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