“カルチュラルアントレプレナーシップ/ Cultural Entrepreneurship“とはなにか?

ロンドン大学ゴールドスミス校 文化起業論 / Goldsmiths, University of London. MA: Creative and Cultural Entrepreneurship のコースが終わりに近づいている。

この言葉の存在を最初に教えてくれたのは、高校時代から交信の絶えない友人・本村拓人(たくと)だった。おそらくもう6-7年前のこと。彼がどこでこの言葉を知り、使い始めていたのか定かではないが、ぼくの頭の中にはぼんやりとこの言葉が残り続けた。ソーシャルアントレプレナーシップ=社会起業家 とすれば カルチュラルアントレプレナーシップ=文化起業家?それってどういうこと?という具合に。社会起業家について多くのことを教えてくれたのも、コーズ・リレーテッド・マーケティングについて教えてくれたのも、拓人だった。振り返ってみると、いろんな影響を受けている。気づけばぼくの35歳おじさん英国留学のコースタイトルも、彼が教えてくれた言葉になっているではないか!人生とは数奇なもの。思い起こせば16歳の頃、「留学しないか?」と渋谷の塾へ彼を誘い、結果、彼は渡米し、ぼくは日本の大学へ進学したというおかしな過去があった。ともあれ、何を学べば良いのかわからなかったぼくに、大きなヒントを与えてくれてありがとう。ここにその感謝の気持ちを記録しておきます。 

Culture Entrepreneur入門 @自由大学 by Takuto Motomura

その言葉の存在を聞いた数年後、今度は林曉甫(あきお)という友人からまたこの言葉を別の形で聞くこととなる。NPO法人インビジブル/inVisibleを運営する彼は、東京都のスタートアップハブで”文化起業家”を特集したトークセッションを行なっていた。彼がどんな経緯でこの言葉を使うようになったのか、細かく経緯を聞いたことはないけれど、地方での芸術祭での仕事や東京でのコミュニティづくりに奔走する姿とその考えじ共感し、なにかしらの共通する問題意識も見出せた。おかげで、文化と起業の間で新しい解を出そうと多くの友人のネットワークも得ることができた。その感謝の気持ちを記録しておきます。いつも、自分に刺激をくれるのは友人たちの存在だ。

文化起業家/Cultural Entrepreneurship by NPO法人inVisible / Aiko Hayashi

ほかにも カルチュラルプレナー、文化的起業、文化のスタートアップ etc… を冠した情報に触れることはあった。ざっとGoogle検索しただけで複数の記事がヒットする。音楽・映画など、広く文化コンテンツの編集に関わるひとたちが。あるいは、IT業界で新しい仕事の仕方を模索する人たちが。これからの・未来の、仕事のあり方を議論する際に”カルチュラルアントレプレナーシップ”(文化起業家)という言葉を用いていた。舶来の品はしばらくの間、外から来たというだけで注目を浴びることがある。カルチュラルアントレプレナーシップ/Cutlural Entpreneurship も、もしかしたらそうかもしれない。こんなに言いづらい言葉、なかなか浸透しづらそうだし。

浸透させたいのが目的ではない。目的は、この言葉に含まれている意図が知りたかったのだ。真っ向から、どストレートに”文化(Culture)”と”事業(Enterprise)”をくっつけてしまった、その言葉の成り立ちが、気になってしまったのだ。00年後半あたり?に東京で感じた”ソーシャルアントレプレナー”(社会起業家)のようなメディアの取りざたされ方もしていないこの言葉。いったい出自はどこで、いつ頃で、どんな背景やコンテキストから生まれた言葉なのか?この言葉を作った人にはどんな意図があったのか?触れるほどに、その意図を正確に把握したくなった。この言葉が実現しようとしているコンセプトに、ふんわりユートピアを感じ、少なくとも振り向いてしまった自分は、この言葉を掘って行くプロセスの中でなにかを見いだせるのではないか?そんな風に思った。言い換えれば、そう決めた。この言葉を掘ってみることに決めた。

そこからが旅の始まり。クリエーティブ産業/Creative Industries、文化政策/Cutlural Policies 周辺についてのリサーチをすることとなる。”文化”ってそもそもなんだ?という問いから、先の投稿で述べたカルチュラルスタディーズの源流を遡る。”起業”ってなんだ?という問いから、シュンペーターやイノベーション理論をおさらいすることになる。学者の道を歩むひとはこの果てしない旅の中で正確に問いに対する答えを編み出して行くことが命題になるのだろう。僕の場合は、一介のプロデューサーが、次なるキャリア開拓のために学んでいる。正確性より、学んだことを実践の場にどう生かして行くかが命題だ。この場で共有しながら、オープンに議論を重ねていくつもりで、かいつまんだこの言葉のルーツを披露したい。

1999年、英国はロンドンに拠点を構えるDemosという民間シンクタンクからひとつの政策提言がなされた。カルチュラルアントレプレナー/ Cultural Entrepreneurという言葉は、この政策提言の中で使われている。

The Independent - The Britain’s New Cultural Entrepreneur

チャールズ・リードビーター/ Chales Leadbeater(以下、リードビーター)は、1997年に首相となったブレア政権で顧問を務めた。共著のケート・オークリー/Kate Oakley は文化政策の研究者で、いまはグラスゴー大学で教鞭をとっている。リードビーターはのち、2008年に”We think”を発刊、デジタライゼーションがひとびとの仕事のあり方にどんなインパクトを与えるのかに言及した著書で地位を築いた。作家にして、参謀。いったい当時、時の首相へどんな入れ知恵をしていたのか。その政策は、学生の自分に見事に影響していた。オアシス/OasisをはじめとするUKロック、寒そうに両腕を抱えたユアンマクレガーの映画ポスター、それから財布はポールスミス。ずっぽり英国の対外文化輸出政策の餌食だったと言っても過言ではない。

専門家たちが纏めた時代背景をさらにかいつまむと。80年代に”鉄の女”サッチャーが推し進めた新自由主義路線(市場競争により重きを置く)により、英国は50年代以降から落ち込んでいた低成長を脱却する。世界経済でのプレゼンスを取り戻す一方、その陰で失業者が増加。労働組合は弱体化し、国民からの不満が溢れる。そんな折、New Labour/新労働党が政権を奪還。第3の道/The Third Wayとした新しい政策を打ち出す。英国のみならず、広く欧州や米国で中道左派的な政権が政権が増える。リードビーターが書物を発刊したデモス/Demosは、時の政権への政策提言で知られている。ぼくがDemosの存在を知ったのは入社して間もなかった2008年は社会人2年生の頃、当時エグゼクティブクリエイティブディレクター/Executive Creatice Directorだった白土顧問に呼ばれ、彼の部屋で マーク・レナード/Mark Leonardの “BritainTM” を渡された時のことだった。”国をブランディングする”という考えを新鮮に感じたことを覚えている。

話を戻すと。先に紹介した The Independentの中で、リードビーターはカルチュラルアントレプレナーの条件を具体的に述べているわけではない。広く、文化やクリエーティブ産業に関わる人間たちを総称してカルチュラルアントレプレナーと呼び、その心意気やモチベーションを含めてカルチュラルアントレプレナーと呼んでいる。文化やクリエーティブ産業に関わり、生計を立てる人が増えて行く社会の魅力と可能性が描かれている。大きな政府による文化芸術への支援ではなく、多くの個人が文化に関わりアントレプレナーとして自立することで、 文化もグッド & 経済もグッド な、素敵な世の中になるじゃない、といった具合に。(乱暴な訳だが多分にそう言ったラディカルな発想だと思う)ゴールドスミス で論文のデータベースにアクセスした限り、リードビーター以前にカルチュラルアントレプレナーという言葉を使っていたケースはひとつだけあった。(Maggio, 1984)が、社会の仕組みを説くより個別のオーケストラや劇団の事業運営/Cultural Enterpriseの話だったので文脈が異なる。リードビーターはそもそも、The Rise of Social Enterprise という著書でソーシャルアントレプレナーという概念を広く世界に知らせた人間だった。資本主義を前提にまわるこの世界で、どうやったら社会や文化にもGoodな経済成長モデルを描けるかをずっと考えていたの人なのだろうと思う。天と地との差ではあるが、ぼく自身の問題意識と共通する。

日本のクリエーティブ産業・文化産業を巡るトピックスは、文化産品の対外輸出を主とした経済政策に重心が置かれているように見受けられる。リードビーターが説いたカルチュラルアントレプレナーで注目しておきたいのは、経済成長のために文化芸術に携わるひとびとの自立を促すことをめざしながら、同時に”外向き”(対外輸出政策)とは対をなす、”内向き”(国内の多文化共生)の政策にもなっていたという点ではないか。第3の道がめざしたものは、そういう右と左の端っこを、高次元で同時に実現しようとする高い理想を持ったものだったのだ、と。”内向き”と表現した国内の多文化共生の文脈は、おそらくこれからの日本社会でもっと必要なってくる視点ではないかと、ぼくは思っています。

最後に、リードビーターが説いていたカルチュラルアントレプレナーがもたらすメリットの6つのポイント:1.雇用の増加と経済成長 / 2.地域経済の成長 / 3.新しい仕事のあり方 / 4.クリエーティブ製品の生産モデル / 5.都市の未来 / 6. 社会のまとまり のうち、最後のポイント 6.社会のまとまり(Social Cohesion)から一文を引用。

Cultural entrepreneurs can play a critical role in promoting social cohesion and a sense of belonging. That is because art, culture and sport create meeting places for people in an increasingly diversified, fragmented and unequal society. Once these meeting places might have been provided by work, religion or trade unions.
— Charles Leadbeater


アートや文化やスポーツには、これからも増え続けるであろう、多様でバラバラな背景を持った人々に、不平等を抱えたコミュニティに、集まるきっかけ、その溝を埋めて行く機能があることを、リードビーターは強調していた。

ぼくが英国留学の修士課程に選んだカルチュラルアントレプレナーという言葉の源流を辿るのが目的の今回。広がる議論はさておき、まずはここまで。

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1985年のロンドン産業戦略 / London Industrial Strategy in 1985.

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