BBC / Radio4 “運をつかむ”こと
タイトル(原題): Chance and opportunity
日付:JUL 17, 2022
Speaker :David Goodhart
訳者 : Sungwon Kim
概要: David Goodhart reflects on the role of chance encounters and personality in helping to tackle social mobility.
Prospect Magazineの創設者でジャーナリストのデービッド・グッドハートが、"運をつかむ"こと、そして社会的流動性(Social Mobility)について語ります。
今週、ボリス・ジョンソン(Boris Johnson)に代わる次の保守党リーダー候補の多様な生い立ちの話を聞きながら、わたしはチャンス(Chance)と機会(Opportunity)について考えていました。「どうして世の中には、運の良い人と悪い人がいるのだろうか」と。あらゆる人の人生というものは、日常に潜む些細に見えて決定的な出来事たち(Sliding door factors)によって、その行く末を左右されるものなのだろうか、と。
どうやら人は「自分の人生は自分でつくるもの」という考え方が好きなようで、心の中で静かに更新する”わたしの履歴書”の中から、予想外に起きた出来事を省く傾向があるらしい。ところがわたしの場合、改めて人生を振り返ってみると、人生を決定づけた多くの出来事が、どれも偶然の産物だった。そんなことに気づいたのです。
セレンディピティ / 偶然をものにする
わたしがまだ York Evening Press (※英国北部ヨーク市の地方紙)の若い記者だった頃、同居人のそのまた友人が家に泊まりに来たことがありました。彼女はその頃、Financial Times(※以下省略、FT)の記者になったばかりで、彼女いわく、FTの労働党取材担当チームに、ストライキ・賃金交渉・労働組合等について記事を書く記者の募集があるというのです。
それまでFTなんてほとんど聞いたことがなかったのですが、一流クラスの新聞であることはなんとなく分かりましたし、これはきっとロンドンあるいは全国紙の舞台にキャリアを登っていく機会に違いない、そんな予感がしました。
それから数週間後の1981年末、偶然にも、鉄道会社の労働組合であるASLEFのリーダー、レイ・バクトン(Ray Buckton)が全国ストライキを招集し、大きな事件になりました。ヨークは鉄道の街であり、バクトン自身もヨーク出身。縁があります。FTの労働党担当にポジションの募集がある件を事前に耳にしていたわたしは、この争議を自主的に、熱を持って取材しました。労働者たちへの取材経験があれば、きっとFTのポストの応募で有利に働くに違いないと考えたのです。
そして数ヵ月後、わたしはそのFTの仕事に就くことになります。
スマート・ラックという”運”
ドイツ人の作家、クリスチャン・ブッシュ(Christian Busch)は、著書 ”Connect the dots”(未邦訳)の中で、ブラインド・ラック(Blind Luck)とスマート・ラック(Smart Luck)を区別しています。
ブラインド・ラック(Blind Luck)とは、平和な時代に豊かな国に生まれたり、裕福な両親のもとで愛情に恵まれたりという ”現実に恵まれる運” を指す一方で、スマート・ラック(Smart Luck)は、偶然の出会いに対してオープンな姿勢を取ることで、どんな境遇に生まれた人でも ”自分で培うことができる運” だというのです。
ブッシュは、ペニシリンからコロナワクチンに至るまでのあらゆる発明を指して、こうした重要な発明の半数以上は ”セレンディピティ” が突破口を開き、それがきっかけとなって生まれた結果だと述べています。こうしたセレンディピティの効用は、発明の分野だけではなく、みなさんの人生のパートナーとの出会いについても同じことが言えるとも述べています。
先に述べたわたしの経験、つまり同居人の友人が突然家に泊まりに来て知らされたFTの記者ポジションの件は、ブッシュに言わせれば、偶然の出会いに対してオープンかどうか、つまりセレンディピティを生かす姿勢があるかどうかを試されるケースだったというのです。
わたしの場合、この偶然の出来事は、何か決定的に自分の人生を変えたというより(そもそも恵まれた境遇で野心を燃やす若いジャーナリストでしたから)、少しだけ人生の方向を修正された、そんな出来事ではありました。遅かれ早かれ、全国紙に移るつもりでしたので。しかし、泊まりに来た友人のリサのおかげでFTで働き始めただけではなく、結果的にはFTで未来の妻と出会い、東西統一直前のドイツに外国特派員として派遣、それがきっかけとなり、のちに国際政治経済を扱う月刊誌 Prospect を立ち上げることになったのです。
運を味方につける
スマート・ラック(Smart Luck)の存在に興味を持つようになってから、突然あちこちでこの言葉を耳にしたり、見かけるようになりました。先週の Spectator 誌では、元Telegrapphの編集者でマーガレット・サッチャーの伝記著者として著名なチャールズ・ムーア(Charles Moore)が、自身の曽祖父が経験した偶然の出会いを語っていました。
ムーア氏の曽祖父は、アイルランド人のシングルマザーの息子として生まれ、綿工場で働いていたところ、(なんの拍子か)鳥類学者のチャールズ・ウォータートン(Charles Waterton ※世界で初めて”自然保護区”をつくった人)と友達になり、その出会いがきっかけで医者への道がひらけただけではなく、準男爵(※英皇室から与えられる称号)を与えられるまでに至ったという驚きの物語を語っています。
この類の話は、気をつけないと「運は自分で切り開くもの」という、保守派が展開するいわゆる自己責任論に聞こえるかもしれません。
ただ、わたしが主張したいことは、ひとはそれぞれいかなる境遇に生まれ育ったとしても、たとえ自分の選択とはかけ離れた状況に生まれたとしても、運を自分たちでつかむことができるということを伝えたいのです。もちろん、ひとりひとりの人となりや性格は重要になって来ます。運を味方につけるためには、自信と粘り強さが必要で、昨今流行りの”インポスター症候群(Imposter Syndrome ※女性に多いとされる自責がちな精神症状のこと)”のような症状には特に気をつけなければなりません。
ソーシャルモビリティ / 社会的流動性
スマート・ラック(Smart Luck)の考え方、つまり “運は自分でつかみとることができる“ に含まれる自己責任論的・楽観主義的な側面は、社会的流動性(Social Mobility)をめぐる英国の国民的な議論の中では少し不快なものとして受け取られる傾向にあります。この点については、今回の保守党リーダー候補陣からも反省の声が聞こえて来ています。
「政治がいかに分断しているか」が、ひとびとやメディアの大きな関心事になっている近年。そのトレンドと逆行して、英国では所属政党の範疇を超えた一種のコンセンサスのようなものが生まれてきていて、そこには「高い社会的流動性(Social Mobility)を目指そう」というような、社会階層間の往来すなわち社会におけるひとびとの流動性(Mobility)を政治のひとつの主要目標に据えようとする動きが見られます。その目標に対して、どれだけ現実が追いついているかについては、まだまだ悲観的な論調が主なわけですが。
振り返ってみた時、わたしが育った60・70年代には、社会的流動性(Social Mobility)などという言葉はほとんど聞かれませんでした。保守派層の人々の主な価値観は「成功するには才能と勤勉さがあれば十分だ」というもので、翻って左派層の主な価値観は「ひとの運命を決定するのは、社会経済的な出自。所得が低い人々には、変えられないものがある。」そんな風なものだったのではないでしょうか。彼らは、今で言うところの構造的・制度的なしがらみをより現実的に直視していて、より良い人生を自らつくり出す気概に欠けていたのかもしれませんが。
さらに待っていた現実は、そうしたしがらみを運良く飛び越え、貧しい出自から富めるものへ階層のはしごを上った人、つまり出世を実現した人々は、悲しいことに社会階層の上からも下からも、あらゆる疑いのまなざしを向けられるという結末が待っていたのも事実です。一方で皮肉なことに、いまと比べれば60・70年代という時代は、実は地位の高いプロフェッショナル職や管理職のポストが急増していた時代で、上昇志向の人はチャンスをつかんで上向きの流動(Mobility)が実現できる、社会的流動性(Social Mobility)が高かった黄金時代と見ることもできます。
「現代は社会的流動性(Social Mobility)が後退している」という主張の核をなす政治・学術的説明のひとつに、「余白」(Room)があります。雇用市場の頂点に位置するいわゆる「余白」(Room)が、なくなって来ている、減少してきているという見方です。上部の余白がなくなることで、社会全体の流動性が滞留するという見方です。
ところが、数週間前に発表された英国の社会的流動性諮問委員会(Social Mobiolity Commission)による最新の報告書によれば、この悲観論の根拠は弱いことがわかりました。プロフェッショナル職の雇用増加が鈍化し、上向きの社会的流動性は低下している一方、実は職業全般を通してみるとその流動性はここ数十年、比較的安定しているというのです。さらに、多くのプロフェッショナル職出身者と労働者階級出身者の間の格差も縮小傾向にあると言います。
この報告書は、社会的流動性(Social Mobility)をめぐる議論が、いわゆる世の中の不平等(Inequality)について嘆く議論といかに決定的に違うかを述べています。そのひとつの例に、いわゆるエリート層と呼ばれる人々がどの程度オープンな存在か、一般世間の人々を適切に代表しているかどうか、についてのレポートががあります。
驚くことに、英国では少なくとも名門私立学校(Oxbridge ※二大名門大学OxfordとCambridgeのこと)出身のエリートの割合は減少傾向にあります。少なくとも、名門私立学校出身者が下院議員になる傾向は弱まっています。
今回の報告書は、昨今歯に衣着せぬ発言で注目を集める新たな諮問委員会の委員長キャサリン・ビルバル・シン(Catherine Birbal Singh)によって起草され、これまでの委員会とは少し異なるアプローチをとっています。
ブレグジット以降、熾烈なロンドンの労働市場でプロフェッショナルとして成功しなければ生き残れないというようなひとびとのストレスが増え、一方で、英国地方都市の貧困層の中から名門私立学校へ進学するような”Long Mobility”(※大きな出世ともいうべきか。大きな社会階層間の移動)への注目が弱まってしまいました。
当然、後者の”Long Mobility”のようなサクセスストーリーが生まれる社会を望む声が根強いことには否定の余地はありませんが、現在の委員会はより現実的な路線を重視しているといえます。それは、たとえ”Long”ではなく、比較的”短い”社会階層間の移動(Mobility)だとしても、格間差の移動を体験できる人がより多く存在することを重要視しており、多様なタイプの移動(Mobility)を広い視野で捉えているのです。委員会はまた、恵まれない境遇の人々が、どのように社会階層間を移動していったのかを理解する上で、家族構成や文化的価値観が果たす役割についても深く考察したいと考えているようです。
“運をつかむ”こと
ところが。「運をつかむこと」については、どうでしょう。偶然の出会いや、チャンスが訪れたとき、適切にそれをつかむ力についてはどうでしょうか。委員会は、人脈や偶然の出会いが人生を良い方向に変えることができるのかについて、もっと深く研究するといいのではないかと、わたしは思います。
当然のことながら、裕福な親のもとに育った人は、適切なロールモデルやアドバイス、さらには幸運なインターンシップにありつける恩恵にあやかり、スムーズに成長できる可能性が他の人より高いかもしれません。いわゆる、社会的関係資本(Social Capital)に恵まれている、ということです。親という存在はおおよそ、できるだけ多くの長所を引き継ぎ、短所についてはなるべく次の世代には引き継がないようにするものですから。
この社会的流動性(Social Mobility)というトピックが常に難問であることの大きな理由のひとは(この親という存在の本能から見てとれるように)、流動性が目指す姿が、人間が持つ本質的な習性と正面からぶつかっているというところなのです。
社会移動性委員会(Social Mobility Commission)は、内向的な人や弱い立場の人々に向けて、突然セレンディピティを作り出して提供する、なんていうことはもちろんできません。そんな大げさな変化ではなく、あまたの市民が少しでも良い人脈を手にしたり、適切なロールモデルに出会ったり、些細な効果を量産する手助けはできるはずです。
良い仕事を見つける最良の方法は、実は口コミや人間関係である、と言われます。
次のトニー・ブレアとの呼び声の高い労働党議員のウェス・ストリーティング(Wes Streeting)は、ロンドンのイーストエンドの貧しい地域の出身です。政治家になるチャンスをつかんだ経緯について語ったTimes紙のインタビューの中で彼は、「弁護士や医者の知り合いを持つ中産階級の友人の存在が大きかった」ということを語っています。
トランプ政権下でロシア担当を務め、稀代のロシア通で知られるフィオナ・ヒル(Fiona Hill)は、ダラム州の炭鉱労働者の娘として生まれました。彼女はアメリカとイギリスのいわゆる取り残された地域(left behind)の境遇にある人々の人生を考える方法について語る ”There is nothing for you here” (未邦訳)という本を2021年に記しました。彼女は著書の中で、人脈やコネクションの重要性についてストリーティングと同じ立場を取りながら現実的な目線でのあとがきを残しています。CEOから教師に至るまで、立場を超えてさまざまな人がメンタリングやスクールツインニング(School Twinning ※格差の隔たりがある学校同士が兄弟校になる仕組み)などの手法を通じて、恵まれない境遇の人たちに幸運の機会が回るインフラをつくることの重要性を伝えているのです。
わたしが冒頭に述べた偶然の出会いの経験は、キラキラ輝くロールモデルに出会ったり、強力な人脈を手に入れることに比べたら、幸運をつかみ取る方法としてはだいぶ頼りないかもしれません。しかし、それでもなお、こうした偶然の出会いがもたらすことの大事さを説く理由は、コロナがもたらしたロックダウンという、この世から偶然のめぐり合わせという機会を一切奪い去った悲しい出来事を防ぐための、一つの抵抗でもあるのです。
歴史的な熱波に見舞われた2022、夏の英国。炎天下の中、公園に出店したアイスクリーム販売車に列をなつみなさんのもとに、なにか偶然の素敵な出会いがあることを祈りながら。