Interview:ブランドン・ストウシー 『Make Time for Creativity —本当にやりたいことを続けるために』日本語版刊行に寄せて
2026/6/14に発売となった『Make Time for Creativity –本当にやりたいことを続けるために』。巻末追加コンテンツのつもりで(結果ちょっと違った展開をすることに)、昨年秋に著者 ブランドン・ストウシーへインタビューを行っていました。書籍発売時に版元の英治出版オンラインにて掲載されていましたが、訳者と著者との対話記録のつもりで、リンクをもう少し多めにまぶした再編集版を以下に掲載します。本書を手にとるまた新たな視点をお届けできたらとの思いからです。どうぞご覧ください。
Interview, translation and text by Sungwon Kim ( Editorial support by 英治出版 )
厄介なことが起きるのは、すべてをAIに任せたとき
Brandon Stosuy (2017, Tokyo) : Photo by Mike Renaud
Nothingっていうシューゲーズ系のバンドが、先日自分たちのバンド活動についてAIで自動生成したとある画像をインスタグラムに投稿した。「AIでつくったぜ」ってな具合に。すると、かなりのバックラッシュがあった。「どんな神経でAI使ってるんだ?」という、ファンからの反駁。
そんな事態を面白がれるタイプのボーカルは数日後、「まさかみんなにAIの使用を止められるとは思わなかった」と投稿し、うまくファンとコミュニケーションしてみせたけれど、この件はAIとクリエイティビティの関係がどれだけ密接でホットな話題であるかをよく表していると思うんだよね。みんなそのことに多くの関心を寄せている。
AIはたしかに便利だよね。WEBプログラマーであれば、たとえば基本的なコーディングの打ち込みはAIに任せて、自分が本当に時間を割きたいことへの時間を生み出す。そんな使い方ができると思う。
厄介なことが起きるのは決まって「すべてをAIに任せてしまったとき」なんだよね。ぼくはAIだけで良いアート作品がつくれるとは思ってない。もちろん面白いもの、興味深いアウトプットを生み出すことはできる。だけど、あくまで道具として使うことに価値があると捉えてる。
ところが世間では、AIによって従来の仕事が奪われることへの懸念ばかりに気を取られるひとも多い。実際、要望さえ入力すればWEBサイトまで組んでしまうAI搭載ソフトが出始めているくらいだから、たしかにWEBデザイナーの仕事と競合している。どうあれ、ぼくらはAIにはポジティブとネガティブな両側面があることを理解しないといけない。
ポジティブな面としては、ありふれた平凡な仕事の処理速度を上げてくれる点。たとえばレジデンスプログラムに参加したいアーティストなら、応募フォームをAIに記入させ書類仕事を軽減できる。作品づくりの時間を捻出できるようになるから、そのひとにとってポジティブな使い方だと思う。
ネガティブな使い方としては、絵や画像をつくることそのものをAIに丸投げし、お願いするような使い方だ。こういう類の使い方が、決まってバックラッシュの的となるんだ。
先日、ある友人と回想していた。NFTが流行ったときに似てないかと。当時「NFTがアートを民主化する!」と盛んに言われていた。でも実際は、フツーのひとじゃ到底買えないような高額なデジタル画像アート作品ばかりが生み出される結末に落ち着いた。またそういうことが起きては去っていくのではないかと。ビットコインにハマるひとは未だ多いようだけれど、一時の盛り上がりからはだいぶ落ち着きを見せたように思う。
創作のための時間をいかに確保するか
ぼくの場合、生活をラクにしてくれたり、本当に集中したいこと、つくりたいことに捧げる時間を生み出すためにAIを活用するなら、便利で良いことだと思えるんだ。制作に取り組むひとがいちばん苦労しているのは、時間をいかに確保するかなんだ。
それぞれ取り組まなければならない日中の仕事があり、家族がいて、仲間とのプロジェクトをいくつも抱えている。フルタイムの作家として生計を立てられるのはきっと数パーセントだよ。多くのつくり手たちが日々の生活のなかで、創作のための時間をいかに生み出すかの試行錯誤を繰り返してる。
ぼくにとっては The Creative Independent(以下、TCI)が、つくりたいことなんだ。この自分の大事なプロジェクトのための時間をどうにかして生み出さないといけない。だからAIがその手助けをしてくれるなら、それは素晴らしいことだと思う。それでも実のところ、ぼくはまったくAIは使わないのだけど。
TCI — ”A growing resource of emotional and practical guidance for creative people”
AIが創作そのものを担うクリエイターのような振る舞いをすることについて、正直ぼくは関心がないんだ。その使い方はぼくには全然響かず、むしろネガティブな使い方に感じる。ひとびとの時間をつくり出したり、生活に余白を生み出してくれる限りにおいてAIを認めるけれど、人間の創作を代替するような使い方はやはり肯定できない。
TCIを編集しているとよくわかる。「どのように創作のための時間を生み出すか?」についての投稿がいつも人気なんだ。みんなそのことを考えている。あとは「創作の対価をどのようにもらうか?」に関する投稿も人気だよ。
きっと多くの人が、報酬なしのクリエイティブ作業で苦労しているからだと思う。できることならみな、自分の愛するものづくりを通して生計を立てたいと思っているのだろうね。ただ現実として、じゅうぶんに稼げているのはほんの一部の作家だけだ。
だから、AIがそうした想いを抱くひとからさらに仕事を奪ったり、創作を通して稼ぎを得ることと相反する結果を生み出す場合、ぼくはその利用には否定的だよ。
…. わたしたちTCIは、作家、ミュージシャン、デザイナーなど、現役のアーティストが語る「クリエイティブな生き方における挑戦や苦難」に焦点を当てたインタビュー、そしてそこから生まれる知恵や道標を記録しています。「つくる」ひとびとの糧となり、ともにコミュニティを育てていくことを目指して。 (*TCIサイト About から)
——— ブランドンの考え方がよくわかった。会話の口火をどう切ろうかと考えていたとき、AIに関するトピックが良い気がしていた。『Make Time for Creativity』を通してブランドンが伝えていることって「クリエイティブ・サステナビリティ」みたいなことかなと思っていて。自分の創造性をどう持続させるか、人生を通じてどんなふうに創造と関わり続けるか。もっと言うと、それらすべてひっくるめて「どう生きるか」に関する本だと思っている。
そこに、AIをはじめとする新たな技術の台頭がどう関わってくるか、意見を交わしてみたかった。個人的には、どれほど技術がひとびとの生活や行動をアップデートしたとしても、創造行為の源って変わらないと思っていて。その中核は、決して技術革新によって犯されないと思ってる。そんなことを、ブランドンの本を読みながらも考えてた。
退屈でいるチャンスが潰されている
そうだね。AIはあくまで道具だと思う。道具というのは、やりたいことを助けてくれることに価値があるよね。そして、どんな道具も完璧ではない。
大学生の頃にはじめてPCでメールを送ったときのことをいまだに覚えてる。「こいつはすごい! こんなふうにメッセージが送れるのか」と、コンピューティングのゼミに所属していた友人とメールを交わし合っては新たな現実に圧倒された。
でもその体験から数年後、1ヶ月のあいだに数百ものメール送付に時間を費やし、止まない受信メールの波と生きる羽目になるなんてことは、当時思いもしていなかった。
携帯電話も同じだよね。10代前半と中盤のふたりの息子を育てているけれど、しつこく伝え続けている。「電話を手放そう」「いまは画面を見る時間じゃない」と。
ぼくはニュージャージー州の奥深い松林で育ったから、10代の頃はなにもすることがなかった。テレビ局もふたつしかなくて、ぼくと弟は森に入ってはいつもなにか新しいこと、面白いことを考えて生み出す必要があった。退屈なときはただ退屈でいるしかなかった。
その退屈からZINEが生まれるんだけどね。その時間の過ごし方を考えるなかで、なにかを書くことや情報をレイアウトすることを自ずと学んでいくようになった。
ブランドンが10代の頃につくったZINE. タイトルの “White Bread” は バイト先のコンビニの陳列棚の食パンを眺めていたら浮かんだそう。
いまも毎日編集し続けているTCIは10代の活動の延長でしかないんだ。なにかを書いて、編集して、レイアウトして、デザインする。友人にアートワークをお願いする。印刷できる友達に頼んで刷る。そして、配布する。
そうやって出版を学んできたし、単にほかにすることがなかったからやっただけ。明確なプランがあったわけじゃない。自分なりにクリエイティブに時間を過ごす方法を生み出しただけだった。
テクノロジーの難点って、自由な時間をすべて埋めてしまうことだと思う。退屈でいるチャンスが潰されてしまうんだ。隙あらば「次はなにする?」と迫ってくる。ぼくらを楽しませようとしてくる。
つくることの捉え方はひとそれぞれ
ぼくの仕事の基盤はZINEづくりにあって、それはずっと変わらない。つくることが好きなんだ。
子どもの頃に農場で働いたことがあるけれど、その仕事は時給換算ではなく成果報酬だった。収穫の量で稼ぎが決まったんだ。10時間、ブルーベリー畑に突っ立っているだけでは当然なにも獲れない。だからずっと摘み続けた。それが原体験なのかもしれない。いわゆる「汚れ仕事」が、まったく苦じゃないんだ。
TCIは毎日自分でCMSをいじって投稿してるよ。画像イメージを保存し、テキストを埋め込み、投稿する。きっとこの作業もAIで効率化できるに決まってる。でも、自分でつくって、眺めて、間違いがないかチェックし、世界へ送り出すこと。週に5日、毎日1回。これを自分の手でこなすことが、ぼくを満たしてくれるんだ。
インスタグラムでは、全体のグリッドを眺めて今日の色を決める。Canvaを自分で加工して画像をつくる。とにかく自分で手を動かす。手を加える感覚が楽しい。ツギハギの布みたいに、毎日ひとつひとつパッチワークしていく。
だれもがこんなふうに考えられるとは思ってないよ。世の中にはいろんな職業があって、たとえば銀行で働いているひとであれば、夜中に取り組むWEB制作はAIを活用して効率化したいと思うかもしれない。ぼくの場合は幸運にも日中に取り組めているから、じゅうぶんに時間をかけられているだけで。
ひとはそれぞれ違った創作の習慣をもってる。ぼくは朝に仕事するのが好きなタイプ。夜に作業するのが好きなひともいるよね。ぼく自身も若い頃は、夜11時からコーヒーを淹れて夜通し作業してた。いまは早起きしてジョギングをし、いつもの習慣に従うのが好きなんだ。
AIの手助けのおかげで自分がより創造的でいられるなら、それはポジティブな使い方だと思う。とにかく道具なんだ。問題は、ひとがその道具に寄りかかりすぎるときだよね。
Google検索の結果が良い例だと思う。検索ワードを少し変えるだけでまったく違った出力がされる。システムの向こう側の世界はそれくらい不安定で可変なものだってことを、ぼくらは理解する必要があると思うんだ。
Instagramではインタビューのなかからのquoteが定期的に紹介されている
すべてが効率化されたら世界はつまらなくなる
創造には人間の感情が不可欠なんだ。人間は完全じゃない。その不完全さが、いつもアートを輝かせてくれる。美しさはストレスや不安、恐れ、喜びといった感情を宿した人間から生まれる。
そして、その人間が膨大な時間を差し出してなにかをつくろうとしたという事実が、アートをよりエキサイティングなものに感じさせてくれる。
プログラムにすべてを任せ、制作を外注するようなやり方は、アートの素晴らしさや人間が取り組むべき重要な部分を手放すことに等しい。
作家のバイオグラフを読んで、その人生がいかに複雑で入り組んだ歴史だったかを知り、そんななか多大な労力を費やして作品をつくりあげたという事実を知った瞬間、いつもぼくはアートに魅了される。
この本のなかでも触れたけど、レイモンド・カーヴァーは守衛の仕事をしながら業務の合間に短編小説を書いていたという。休憩時間にね。いかなる環境においてもつくり続ける。その献身さがなによりチャレンジングで、ぼくはその姿勢に惚れるんだ。
すべてがテクノロジーによって効率化されてしまったら世界はつまらなくなるだろうね。今朝オンラインで薬を買ったんだけど、ものの30秒くらいですべてが済む。それでもシステムは「さらにあなたの時間を節約するには……」と新たな提案を向けてくる。
どうしてこれ以上時間を節約する必要がある?って感じたよ。ぼくらの社会は加速に躍起だよね。でも、なにもかも効率化されることがいいとは決して限らない。
身体にいくつかタトゥーを入れているんだけど、そのひとつはウィリアム・ギャスの 『The Tunnel』からの引用なんだ。ギャスは本を書くのに30年かかったという。
10代の頃にそのタトゥーを入れたのは、その本がぼくのお気に入りだったからではなく、1冊の本を書き上げるのにそれだけの時間を費やしたという事実に惹かれたからだったんだ。ほかの仕事をいくつも掛け持ちしながら、並行して本の制作にずっと取り組んでいたという。自分との約束、信念。そして見事にやり遂げてみせたこと。それがぼくの心に響いた。
出版から5年。AIの台頭
——なるほど。ブランドンの時間についての考え方に共感する。テクノロジーが効率化を加速させればさせるほど、それと同じくらい「人間が本当に取り組むべきことはなにか?」という問いも重要だって、日頃感じているから。
だからブランドンのこの本は、原著の出版から5年の歳月を経ているけれど、その間の技術革新も踏まえて、新たな読み方ができるんじゃないかと思っていて。AIの存在感が高まれば高まるほど、ひとびとの人間回帰への欲求も高まるのではないかと考えていて。ブランドンはどう感じている?
出版からもう5年か。あっという間だね……。たしかにここ数年で、ひとびとが時間を生み出す道具にAIが加わった。そんな変化はこの本を書いた頃には想像もしていなかった。新しい観点だね。
さっき話したように、生活のなかでAIを活用することで、そのひとの自由が増えるなら良いとぼくは思う。この本には思考のエクササイズやメモを促すパート、それから時間創出のコツに関するセクションがあるけれど、「AIの活用」はそれでもなお効率化が必要というひとにとっては加えてもいい観点かもしれないね。
ぼくの周りでは、契約書がらみのタスクにAIを使うひとは多いように思う。映画の劇中で使われる楽曲使用許諾の契約書などがそう。法律用語を自分で書く必要がなくなったよね。外部委託費用もセーブできる。当然、それでもなおリーガルの専門家チェックは必要だとは思うけど。
こういうケースはポジティブなAI活用法のひとつかな。むしろこうした使い方の実験のなかから、新しい発明が生まれそう。
テクノロジーの新たな使い方
というのも、テクノロジーの新たな活用法や奇抜な使い方には実は長い歴史がある。
ミニマル・ミュージックの音楽家で映画監督、「The Flicker」などの代表作で知られるトニー・コンラッドとかつてバッファローで仕事をしていたとき、彼が音声認識のソフトウェアを前衛小説の執筆のために使っているのを見た。ソフトウェアに自分の声を認識させるとき、彼はわざとめちゃくちゃな音をマシーンに食わせて、極めてワイルドで奇想天外なテキストを吐き出させていた。
自分を刺激するためにテクノロジーを使う。たとえば、AIに誤情報を与えてどんな反応を示すのかを観察する。
あるいは、馬鹿げたイメージを生成したいからハチャメチャなキーワードを食わせる。その出力を次の制作の素材に使う。テクノロジーで制作過程をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
ぼくは大学院でビデオアートの授業をもった経験があるんだけど、そこではこんな実験をしてみた。撮影前って基本的にホワイトバランスを調整するじゃない? なにか白いもの、あるいは自然色の壁にレンズを向ける。
でもぼくは「赤で調整してみたらどうなる?」とか「レンズにワセリンを塗ってみたらどう?」と勧めて、学生たちにまったく違う結果を体験させた。最近ではそういうエフェクトがデジタルフィルターで実現しているよね。当時はそれを実際にモノで体験させてた。
うちの子どもたちの実験も良い例かもしれない。最近はラップの歌詞を自分で書いて、それをAIに歌わせてる。「フューチャーとかエミネム、リル・ウェインみたいに歌ってみて」ってね。するとAIは歌詞の内容も踏まえて生成したビートに合わせてラップを歌う。
子どもたちはまだ自分でラップするには技量が足りないのだけど、面白い歌詞なら書けると思っている。AIを道具として使ってコラボレーションしているんだ。結果、歌詞づくりが上達しているみたい。今後はビートのつくり方とか曲づくりもAIを使いながら学ぶかもしれないね。
だから、自分の創造性のありかさえ間違えなければ、道具としてのAIの有効な使い方は確実に存在する。
AIを使って遊ぶことで新しいアート作品を生むこともできるし、不完全なこの世の中の欠陥やスキマを見つけ出し、よりラディカルなメッセージを発信できるようになるかもしれない。それなら面白いよね?
アートの歴史を振り返ってもこうした実験は溢れている。トニー・コンラッドの「The Flicker」のフィルムはストロボフラッシュを照射して生まれた。
ほかにも、文字通りフィルムを調理してみせた作品だってある。フィルム膜をソテーして、溶け出したフィルムをそのまま投影したんだ。フォームそのものを壊した例だよね。彼はその手のアプローチの天才だったと思う。
スタン・ブラッケージは、フィルムで撮影するのではなくフィルム膜に直接絵を描いた。メディア自体に描き入れたんだ。AIはこうした実験に近いことを可能にすると思う。
AI自体をメディアと捉え、道具として実験に活かせば、ピカソがまさにそうしたように、写実と抽象を往来するような不可知な方向へ作品を向かわせることができる。
道具に寄りかかりすぎると、好奇心が損なわれる
ギャラリーで働いていた頃、「これがアートか? これならうちの子どもでも描ける」というようなコメントを何度も耳にした。その度にぼくは「アーティストは写実表現をしたければそう描ける。ただ彼らはあえて抽象や反復、あるいは破壊、そして色使いで遊んでいるのです。完成度が高く見えるものをつくることだけがゴールではないのです」と説明してきた。
AIについての議論はこうした話と共通する気がする。技術に頼り、完成度の高いものをつくりたいだけなら、そこに面白みはない。他方で、ひとの意思で既存の形式を解体し、ひとの感覚を宿した創作を行うためにAIという道具を持ち込むなら、きっとそのアウトプットにはなにか迫るものがあるはず。
——ブランドンは徹底して「いかにAIを道具として使うか」という視点に立っているね。
そうだね。だけど、もう一度言うけどぼくは個人的にAIは使っていないんだ。人間って、道具に頼りすぎて新たな問題を抱える宿命にあると思っているから。
携帯電話の画面に釘付けのまま、横断歩道を渡るひとがたくさんいるよね。信号が赤に変わったことに気づかず歩き続けるひとの姿を毎日のように見かける。セルフィー撮影中に崖から転落死してしまう観光客の話とも共通するよね。
テクノロジーはぼくらの生活を味気ないものに変えてしまう側面がある。人生を支配しようとしてくるし、ときには文字通り、殺しもする。
AIもそうなんだよ。つまりなにかが殺される。あるいは創造性が奪われる。こうした道具に寄りかかりすぎると、好奇心が損なわれる。ぼくがいちばん避けたいことはそれなんだ。
この世界の出来事に関心を抱き続けられる自分でありたいなら、こうした道具とはうまく付き合わないといけない。好奇心を失った途端、便利なツールは身体の隅々まで浸透してくるから気をつけないと危ないんだ。
映画 「ウォーリー」(原題:Wall・E)のことを思い出すよ。あのアニメのなかでひとは、巨大なショッピングモールのなかを空飛ぶ椅子に座って移動するんだ。バカでかいソフトドリンクのカップ片手に、だれひとりとして自分の脚では歩かず、ただただ消費を続ける。世界の終わりって感じの映像だよ。
あんな風になってはいけない。道具の上手い使い方を心得て、それと共存する道を探らないといけない。
“Ritual”=儀式が指すものは?
——少しトピックを変えてみるね。この本のなかに登場する「儀式」という言葉について。原語の ”Ritual” をどう訳すべきかを自分なりによく考えて進めた。
どうしても「儀式」という日本語には宗教的なニュアンスが強い気がして、ブランドンが意図するところを正確に表せているかが気になったんだ。決して宗教的な儀礼を指しているのではなく、日々の些細な実践や日課、お決まりの行動のような、そんな側面を伝えたかった。
一方で、最近ガーディアン紙のポッドキャストで、Z世代が宗教や精神世界に回帰を求めるトレンドがあると分析するエピソードを聞いた。不安の時代と言われるからかな。ブランドンはこのあたりについてはどう考えている?
若い世代、特にZ世代はいろんな意味で自己調整にマメだよね。宗教的だとかスピリチュアルだとかにかかわらず、ヨガ、瞑想、運動、セルフケアを日常に取り入れていることにそれがよく現れていると思う。健康に対して強い意識があるというか。
毎朝ジョギングするブルックリンの街角では、エクササイズやワークアウトに時間を費やす若いひとたちをたくさん見かける。彼らの多くはお酒を飲まなかったり、実際に健康意識が高いのに加えてそのことを主張するのも上手い。「オフが必要」「仕事は5時で終わり」「休憩は大事」「リセットしなきゃ」のような。X世代からするとそれが多少うざったく聞こえるくらい……(笑)。
同世代のあるアーティストの友人が、ぼくらより年若のスタジオマネージャーを雇っていたんだ。ある日ぼくは、その30代の子に言われた。「X世代は自分たちのことを訴えるのが下手だ」と。
夜遅くまで仕事していた日に指摘されたんだけど、共感したよ(笑)。X世代は「とにかく出掛けて、仕事して、仕事して、仕事していなければならない」、そんなふうに見えると。まるで、日がなブルーベリーを摘むかのように。
若い世代は「1日中ブルーベリーを摘むなんて無理でしょ、ほかのこと始めよう」とか「少し休憩と瞑想を入れて、呼吸を整えよう」なんてことを言えてしまう。
ニューヨーク・タイムズに、Z世代が大好きなのは自分たちへのご褒美だ、という特集記事もあった。どんなにわずかなご褒美でもいい、それがたった1杯のコーヒーだとしてもかまわない。お気に入りの豆を選び、毎日必ず口にすることが大切な習慣なんだ。これもある種、儀式的だよね。
自分を整えるための小さな実践
心地よさを生み、自分を整えるための小さな実践だよね。ダウンタイムをつくる、ワークライフバランスを整える。上の世代と比べて、彼らはそうしたアクションが得意だ。
ぼくらはとにかく早起きして仕事に向かい、帰宅したらテレビ見て、寝て……。それが標準だった世代だから、大きな違いだよね。
もっと信仰色が強いひともいる。ただ、必ずしもそれが宗教かといえばそんなことはない。タロットカードを取り入れている子もたくさん知ってる。言うまでもなくヨガはファンが多いよね。毎朝かならず瞑想をして、アイディアをノートに書き留める習慣を続ける子も多い。
ぼくがこの本で紹介した習慣を、若い世代はすでに生活のなかに自然と取り入れている。だれかに説かれたわけではなく、周囲の環境から見つけ出し、実践しているんだと思う。
上の世代はようやく気づき始めたところだ。「毎朝起きてすぐ携帯電話をチェックするのはよそう……」と。年寄りほど携帯電話との付き合い方が下手だよね。80歳になるぼくの父なんか、これまですべての通知に反応していた。
彼の人生の大半は携帯電話なしの生活だったのに皮肉だよ。最近になってようやく、携帯電話を頻繁にチェックしない方が健康的だと気づけた様子。どうでもいいことだと気づけたみたい!
ともかく、若い世代はこの手の実践にすごくオープンだ。宗教的であれケア的であれ、心の平和を探し、落ち着きと内省のための余白を生み出すのが得意なんだね。だから、「スピリチュアル」という表現の方が近い感じがするかな。
ひとはみな創造性に溢れている
——すると、この本に共感を寄せるのもスピリチュアルな傾向が強いひとが多かったのかな? 改めて、この本はアメリカでどんな読者たちと出会い、ブランドンはこれまでどんなフィードバックを耳にしてきたかをぜひ聞かせてほしい。
読者には、なにかをつくりたい欲求はあるけれどそのための余白を生み出せていないひとが多かった。「やりたいことはあるのに、そのための時間がないんだ……」という類の言葉を何度も耳にした。
かつて画家やミュージシャンだったひとたちのなかには、親になり、いまでは日中の仕事に圧倒され、作家としての手を止めてしまったひと、描いたり演奏したりする機会はあっても、もはや自分をアーティストとは呼ばなくなったひとがたくさんいる。
少し脇道に逸れるけど、最近こんなことを思い出した。甥の結婚式でニュージャージーに滞在したときのこと。宿泊先の部屋にコーヒーがないのでコンビニに買いに出かけた。部屋に戻るために車にキーを差し、カップを口に当てたその瞬間、コンビニで働いていた頃の自分の姿がフラッシュバックしたんだ。
当時のぼくは、バイトで多くのお客さんと接しながら大事なことに気づき始めていた。それまでずっと自分の周りにはアーティストなんていないと思っていたけれど、それは違うのではないかと。
「農場で働いています」「銀行に勤めています」。世間に対してそう表現しているだけで、本当はだれもがひとりひとり創造性を秘めているのに、と。
詩を書くのが好きなのに、いまは時間がなくて書けなくなってしまったひと。あるいは、かつては自分を詩人と呼んでいたが、いまはそう呼ばなくなってしまったひと。日中の仕事が忙しく、さらに子育てで時間がなくなり、創作の壁にぶち当たってしまったひと。そんなひとたちがこの本を手に取り、自分の作家的側面に気づき直してくれたように思う。
フルタイムのアーティストじゃなくたって、ひとはみな創造性に溢れている。そのことがぼくにとってはすごく大事だった。
便利な道具箱のように
若い世代の読者からは、この本に先人たちのガイダンスが詰まっているのが好きという声も多かったよ。ぼく自身の失敗談や、ほかの成功者たちの経験から学べると感じてくれたのかもしれない。
特に失敗談の部分が共感を呼んだようで、みなぼくの失敗の数に驚いていたし、それにくじけずいまも多くのプロジェクトを進めていることに励まされたという声もたくさん聞いた。
書き込んでメモだらけになった見開きの本を写真で送ってくれた読者もいた。リトリートに持ち込んだ様子を共有してくれたひとも。日記帳のようにいつも持ち歩いたり、直接書き込んだり、なんども読み直したり。
一度開いたらしばらく書棚にしまわれる本というよりは、便利な道具箱のように扱ってくれているのかもしれない。
——それは面白いね。翻訳を進めながら、原著にはどんな読者たちがいたのか気になってた。すごく幅広そうだね。日本の読者もそんなふうに多様な読者に広がりが生まれてくれたら素敵だなと思ったよ。
日本語版の出版は、この本を改めて紹介する良い機会だと思っているよ。英語版にとっても。この本は、読むたびに新しい発見を促す本みたいなんだ。
実は1ヶ月前、自分のインスタグラムにこの本の表紙イメージを投稿したんだけど、それまでフォロワーたちはThe Creative Independent(以下、TCI)とこの本の著者が同一人物だということに気づいていなかったみたい。そのつながりが見出されたせいか、投稿した日の近辺で本の売り上げが結構伸びたんだ。
The Creative Independent のひろがり
TCIはこの本が出版された当時から比べてだいぶ成長した。コロナ禍のあいだにだいぶ広まったからね。絶望的なニュースばかりで疲弊するなか、ひとびとが落ち着きを取り戻し、取り組むべきことに集中する方法を探しているタイミングだったから。
去年はブルックリンのブッシュウィックで、コロナ禍明け初めてとなるTCIイベントを開いたんだ。会場の扉の外に行列ができていて、集まったひとは互いに話したくて仕方ない様子だったよ。これだけのファンが育っていたことに気づいて正直本当に驚いた。この本が出た頃はまだ、TCIはちっぽけなWEBサイトだったから。いまじゃ結構大きなコミュニティだよ。
TCI ZINEs @Metalabel
ZINEもいくつかつくった。ひとつは「心の声に耳を澄ませる」、もうひとつは「心が健やかでいるために」。どちらもTCIの過去インタビューから抜粋してつくった。かなりの部数を印刷して配ったつもりだったけれど、ありがたくも全部売り切れ。だからその後、MetalabelというWEBサイト(Kickstarter共同創設者のヤンシー・ストリクラーが近年開設したWEBプラットフォーム)上で配布することにした。
結果、数千部も販売できたよ。実はいまでもTCIのサイト上で無料版PDFはダウンロードできる。フィジカル版は全部売り切れだけど、デジタルなら永久版ということでアーカイブしてあるんだ。そういえばTシャツもつくった! これも売り切れだったんだけど。
ともかく、TCIの成長がこの本の認知にもだいぶ役立っている。本の出版当時は、ほんの一握りのひとしかTCIのことを知らなかったから。ようやくこのふたつのつながりが認知されてきた。
この本はTCIによって一度生まれ直したと言えるかもしれない。TCIのWEBサイトを見つけたひとが本に触れ、そのふたつには通底するテーマがあることに気づく。創作のための時間をつくること、自分のものづくりを優先すること、そしてそれにまつわるマインドセット。どれも読者を励ます内容で、雑音の少ないシンプルでミニマムなつくりのTCIのサイトに、分け隔てなく多くのひとがやって来るようになった。
そういえば実は、かつて一度だけ東京でTCIのイベントをやったことがあるんだよ。そのときにつくったZINEが一部手元に残っている。ビニールで包装した一風変わった仕様のZINE。手作りで包装したんだ。英語と日本語を併記したそのZINEは、いまのZINEよりよっぽど手の込んだ構成だった。楽しかった。
当時、イベントを企画してくれたRyuのアイディアをいまでも覚えている。ZINEをどこか1箇所にだけ配置するのではなく、都内10箇所以上に散りばめようと。ぼくが好きな本屋やレコード屋を見つけたら、そこに無料で数部置かせてもらう。それで当時のTwitterで「あの店に20部置いてあるよ」と呟く。そんなふうに配る作業が、実は当時のぼくが東京のスポットをぐるぐる回る言い訳にもなった(笑)。
TCI in Japan (2017, Tokyo - 原宿Vacant) : Photo by Mike Renaud
——当時のプロジェクトのことをよく覚えているよ。今回の日本語版の出版は、当時のそのイベントと比べればシンプルな企画ではあるけれど、Ryuくんがそうであったように、ぼく自身もこの翻訳出版のプロセス自体をすごく楽しんでいる。すべてのインタビューや記録に感謝してる。
なにかもっとインタビューが必要だったり、話し足りないと思ったらいつでも連絡して。夏のあいだは子どもたちと旅に出ることが多いから、Emailのやりとりの方が確実かもしれない。とにかく日本語版、楽しみにしているよ。
